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千本ゑんま堂(引接寺)の紫式部供養塔。

千本ゑんま堂を、訪れました。
その時に、境内に紫式部供養塔を発見しました。

その写真は、「千本ゑんま堂の紫式部供養塔」に掲載しています。

◆千本ゑんま堂についての簡単な説明◆

千本ゑんま堂は、京都市上京区にあります。
正式名称は、光明山歓喜院引接寺です。

開基は、小野篁。
あの世とこの世を行き来した人物です。

昼は宮中に仕え、夜はあの世で閻魔大王に仕えたと伝わっています。

京都三大念仏狂言である千本ゑんま堂大念仏狂言が有名です。
京都市無形民俗文化財に指定されています。

また、春の境内に、普賢像桜が咲く事でも有名です。
そして境内には、紫式部供養塔も建っています。

-終-

今回は、そんな千本ゑんま堂の紫式部供養塔を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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千本ゑんま堂(引接寺)の紫式部供養塔の見所

千本ゑんま堂(引接寺)の紫式部供養塔

千本ゑんま堂を訪れた時、意外なものを発見しました。
紫式部供養塔と紫式部の像です。

◆紫式部の簡単な説明◆

紫式部は、平安時代の女流作家です。
源氏物語の作者と言われています。

学者である藤原為時の娘です。
藤原宣孝に嫁ぎ、1女(大弐三位)を出産。

夫の死後は、中宮・藤原彰子に仕えます。
その時に、源氏物語を書きました。

40歳余で、この世を去ったと伝えられています。

-終-

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こちらが、紫式部供養塔と紫式部の像です。
供養塔が建立されたのは、南北朝時代になります。

圓阿上人の勧進によって、建てられました。
あの世での不遇な紫式部の姿を見て、建立したそうです。

多重塔としては、珍しい十重塔となっています。
それ故に、重要文化財に指定されいる供養塔です。

千本ゑんま堂と紫式部。
私の中では、接点がありませんでした。

そのため、境内で紫式部の像を見た時は意外でした。
なぜ紫式部の像があるのだろう?

そう思って調べてみると、紫式部供養塔があるからだと分かります。
それでは、紫式部供養塔はなぜあるのだろう?

こちらの答えは、先ほど書いた通りです。
不遇な紫式部を、成仏させるため建てられました。

千本ゑんま堂へ、訪れる機会がある方。
良かったら、見てみて下さいね。

千本ゑんま堂の駐車場

駐車場はありません。
公共交通機関をご利用下さい。

千本ゑんま堂へのアクセス

京都市バス「千本鞍馬口」もしくは「乾隆高前」停留所で下車してすぐ。

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(周辺地図)

千本ゑんま堂の祭事・行事
千本ゑんま堂大念仏狂言。雨天は決行。
千本ゑんま堂(引接寺)の風祭り。
千本ゑんま堂(引接寺)のお精霊迎え・送り。