京阪「中書島駅」周辺を、散策しました
その時に、石碑を発見しました。
発見した石碑は、伏見長州藩邸跡の石碑です。
◆伏見長州藩邸についての簡単な説明◆
長州藩の藩祖は、毛利輝元です。
輝元は関ヶ原の戦いで、西軍の大将として参戦。
結果、敗北します。
そして、徳川家康により隠居させられました。
跡を継いだのが、その子である秀就です。
周防と長門の2国が、与えられます。
そして月日が流れ、京都伏見の中書島に藩邸を置きます。
中書島の新地開発にともなっての事です。
さらに月日は流れます。
幕末の元治元年に、長州藩家老・福原越後が武装蜂起。
伏見長州藩邸から、500名の兵を率いて。京へ進軍します。
しかし、途中で会津藩ら藩兵と衝突。
その結果、福原が率いる長州勢は敗走します。
伏見長州藩邸に戻ったのですが、砲撃にあい藩邸は焼け落ちていまいました。
-終-
今回は、伏見長州藩邸跡の石碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。
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伏見長州藩邸跡の石碑の概要
伏見長州藩邸跡の石碑
中書島には、数々の石碑が立っています。
伏見長州藩邸跡の石碑も、その1つです。
こちらが、伏見長州藩邸跡の石碑になります。
京橋の近くに立っていました。
京橋から砲撃にあえば、確かに焼失するなと思いました。
中書島周辺を散策して思ったのが、石碑の豊富さです。
特に幕末関連の石碑が、多くありました。
伏見口の戦い激戦地跡、薩摩島津伏見屋敷跡。
会津藩駐屯地跡などです。
他にも、電気鉄道事業発祥の地。
両替商旧跡などがあります。
石碑に興味がある方なら、魅力的な町だと思います。
中書島を訪れたら、石碑を巡って歩くのも楽しいかもしれません。
もちろん、石碑だけではありません。
幕末が好きな方なら、楽しめる場所が多くあります。
ぜひ機会があれば、中書島を訪れてみて下さい。
伏見長州藩邸跡の石碑へのアクセス
伏見長州藩邸跡の石碑への行き方です。
京阪「中書島駅」で下車。
徒歩約6分で到着。
(周辺地図)