京都市内を歩いていた時の事です。
藤井右門宅跡の石標を発見しました。
◆藤井右門についての簡単な説明◆
藤井直明は、江戸江戸時代中期の儒学者です。
初名は吉太郎、通称は右門です。
播州赤穂藩の遺臣・藤井又左衛門の子です。
赤穂取り潰し後、越中国射水で生まれました。
享保20年(1735)郷里を出奔して、上洛します。
そして、竹内式部らの交わりました。
その後、皇学所教授になります。
教授になると、公家に尊王論を説いていきました。
しかし、尊王論者弾圧の「宝暦事件」が起こります。
この事件により京を離れ、江戸へと避難しました。
そして、山縣大弐のもと、塾で尊王論を教えてます。
しかし、幕府により処刑されていまいました。
世間で知られる「明和事件」です。
藤井直明、享年四十歳。
それから、約100年、尊王論は多くの志士の心をとらえる事になります。
そして、明治維新の思想へと続きました。
-終-
今回は、そんな藤井右門宅跡の石碑を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
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藤井右門宅跡の石標の概要
藤井右門宅跡の石碑
地下鉄「今出川駅」から徒歩3分。
藤井右門宅跡の石標があります。
藤井右門宅跡の石標です。
藤井右門の旧邸宅は、薩摩藩邸の近くにありました。
その事から、志士たちの会議連絡場所になっていました。
大正11年(1922)の区画整理のため、藤井右門宅は春秋山荘にに移築されます。
春秋山荘には、山科毘沙門堂裏にあります。
写真の石標は、井右門宅跡を示すものです。
尊王思想の先駆者である藤井右門。
興味がある方は、石標だけですが見てみて下さい。
藤井右門宅跡の石標へのアクセス
藤井右門宅跡の石標への行き方です。
地下鉄「今出川駅」で下車。
徒歩約3分で到着。
(周辺地図)