粟田神社に、一期一振と秋田藤四郎が滞在中です(※)。
(※等身大パネルが置いていあります)
その一期一振と秋田藤四郎を、撮影してきました。
2人は、刀剣乱舞に出てくる刀剣男士になります。
刀剣乱舞は、擬人化した刀剣が出てくるゲームの事です。
なぜ粟田神社に、2人のパネルが設置されているのでしょうか。
大きな理由は、2つあると思います。
まず1つ目が、粟田神社がある場所が、粟田口だからです。
粟田口は、昔は刀鍛冶が住居を構えていた地でした。
一期一振と秋田藤四郎を作った刀鍛冶・粟田口吉光。
彼もその内の1人です。
2つ目が、粟田神社にある末社の鍛冶神社です。
鍛冶神社には粟田口吉光が、鍛冶の神様として祀られています。
粟田神社は、一期一振と秋田藤四郎ゆかりの神社なのです。
そのような理由で、2人の等身大パネルが設置されています。
◆一期一振の簡単な説明◆
一期一振と書いて、読み方は「いちごひとふり」です。
鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の太刀となります。
粟田口吉光が作った唯一の太刀と伝わっています。
名称は、「太刀 額銘吉光(名物一期一振)」です。
刃長は、二尺二寸(約69㎝)。
反りは、八部五厘(約2.58㎝)。
一期一振の名称は、「粟田口吉光が作った太刀は生涯この一振のみ」という事から付けられました。
現在は、皇室の御物として宮内庁侍従職が管理しています。
-終-
◆秋田藤四郎の簡単な説明◆
秋田藤四郎と書いて、読み方は「あきたとうしろう」です。
鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀となります。
粟田口吉光が作った短刀の中でも、名作と評判の一振です。
名称は、「短刀 銘吉光(名物秋田吉光)」です。
刃長は、七寸四分(約25.5㎝)。
刀身の表に梵字と素剣、裏に護摩箸の彫刻がほどこされています。
秋田藤四郎の名称は、「豊臣秀吉に仕えた戦国大名・秋田実季(あきたさねすえ)が所有した事」から付けられました。
現在は、個人の所蔵(京都国立博物館寄託)となっています。
重要文化財に指定されている刀です。
-終-
今回は、粟田神社で一期一振と秋田藤四郎を撮影した話です。
撮影した写真は、下記に掲載しています。
【スポンサーリンク】
粟田神社と一期一振と秋田藤四郎の等身大パネル
粟田神社で一期一振と秋田藤四郎を観賞
粟田神社を、訪れました。
訪れたのには、理由があります。
1つは、数量限定の刀剣乱舞の御朱印の拝受。
もう1つが、一期一振と秋田藤四郎の等身大パネルの撮影です。
パネルは、もちろん刀のパネルではありません。
刀剣乱舞の出てくるキャラクターの等身大パネルです。
鍛冶神社、そして本殿へ参拝。
その後、社務所へ移動して限定の御朱印を頂きました(※)。
(※刀剣乱舞の限定御朱印は、こちらに掲載しています。
★粟田神社の御朱印と御朱印帳。)
社務所の中です。
以前よりも、刀剣乱舞の奉納品が増えています。
そして、博多藤四郎のサイン色紙もありました。
博多藤四郎の声を担当された、大須賀純さんのサインです。
社務所も堪能したので、等身大パネルの前へ移動しました。
一期一振と秋田藤四郎です。
2人仲良く並んでいます。
弟を見守る兄といった所でしょうか。
一期一振(いち兄)が、秋田藤四郎の頭をナデナデしそうな感じですね。
見守ると言えば、後ろの鶏も2人を見守っています。
無表情な顔が、若干怖めな鶏ですが……。
一期一振のアップです。
免許証の写真をイメージして撮りました。
秋田藤四郎のアップです。
同じく免許証の写真をイメージして撮りました。
2人の等身大パネルは、平成29年(2017)3月12日まで設置されています。
機会があれば、粟田神社へ会いに行ってはいかがでしょうか。
この後、粟田口の石碑を見て、京阪三条へと向かいました。
粟田口の石碑がある場所です。
粟田神社の鳥居を出て、左へ移動。
一個目の信号を、右に行くとあります。
こちらが、粟田口の石碑です。
機会があれば、こちらも見ていって下さいね。
粟田神社の駐車場
粟田神社には、駐車場があります。
車で訪れる方は、利用を検討してみてはいかがでしょうか。
ただし、場所が分かり難いとよく聞きます。
事前に場所を確認してから訪れた方が無難ですよ。
粟田神社へのアクセス
粟田神社への行き方です。
京都市営地下鉄・東西線東山駅下車、東へ徒歩7分。
同じく東西線蹴上駅下車、西へ徒歩7分。
あるいは京都市営バス・神宮道バス停下車、徒歩5分。
詳しいアクセス方法は、こちら。
粟田神社へのアクセス。京都駅からの行き方。
(周辺地図)
粟田神社の祭事・行事
・粟田神社の大祓式と茅の輪くぐり。水無月あり。
・粟田祭。夜渡り神事と粟田大燈呂。
粟田神社の四季
・粟田神社の紅葉、見頃や現在の状況。