古高俊太郎邸跡を、見てきました。
古高俊太郎邸跡には、石碑が建っています。
◆古高俊太郎についての簡単な説明◆
古高俊太郎は、文政12年(1829)、近江国大津で生まれました。
江戸時代末期の攘夷派の志士です。
湯浅五郎兵衛の依頼で、湯浅喜右衛門の養子になります。
そして、升屋湯浅喜右衛門と変名しました。
養子後、倒幕活動の拠点となる「升屋」を構えます。
そこで、武器の調達や勤王志士の援助をしました。
しかし、元治元年(1864)、古高は新選組に捕縛されます。
過酷な拷問を受け、御所に火を放つ計画を自白させられました。
この事が、池田屋事件へと発展します。
古高は、六角獄舎にて処刑。
享年三十六歳です。
-終-
今回は、そんな古高俊太郎邸跡の石碑を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
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古高俊太郎邸跡の石碑の見所
古高俊太郎邸跡の石碑
古高俊太郎の存在を知ったのは、新選組関連の小説(漫画?)によってです。
確か、土方歳三に壮絶な扱いをされていました。
その事が、頭から離れずにずっと気になっていた人物です。
その古高俊太郎の石碑があると知って、見に行きました。
古高俊太郎邸跡の石碑です。
古高が「升屋」を構えた場所を示しています。
「升屋」は、倒幕活動の拠点の1つ。
この場所で、古高は勤王志士達と連絡を取り合っていました。
結果、新選組に捕まり拷問されます。
そして、池田屋騒動へと繋がっていく訳です。
ある意味、古高俊太郎がいなかったら、池田屋事件は起きなかったかもしれません。
そうなると、新選組を扱った数々の小説や漫画、映画などの名シーンも誕生しなかった可能性もあります。
つかこうへいの代表作の1つ「蒲田行進曲」。
あの映画の階段落ちは、圧巻でした。
あの名場面が、無くなっていたかもしれませんね。
「歴史にifは無い」とかは、とりあえず横に置いておいて下さい。
古高俊太郎邸跡の石碑の場所は、阪急「河原町駅」からすぐ近く。
アクセスが良い場所に、建っています。
河原町界隈に行く機会がある方で、新選組を含めた幕末ファンの方。
1度立ち寄ってみては、いかがでしょうか。
古高俊太郎邸跡の石碑へのアクセス
古高俊太郎邸跡の石碑への行き方です。
京阪「祇園四条駅」で下車。
徒歩約5分~8分。
あるいは、阪急「河原町駅」で下車。
徒歩約5分~8分。
(周辺地図)