京都旅行のオススメ

京都や他府県の旅行と観光関連の事を書いているブログです。おすすめではない情報もチラホラ。

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京阪「中書島駅」の坂本龍馬。

京阪「中書島駅」に、坂本龍馬が立っています。
その龍馬を、撮影しました。

◆中書島駅についての簡単な説明◆

京阪「中書島駅」が出来る前の事です。
この付近に、市電「中書島駅」がありました。

日本最古の電車路線は、伏見線です。
塩小路高倉から中書島間の7.1キロの路線になります。

伏見線の歴史は、長いです。
明治二十八年二月に、塩小路東洞院から油掛町間で開通します。

その後、大正三年に三月に延長部分が完成。
中書島まで、路線が延びました。

そして、市電「中書島駅」が出来ます。
長年愛された路線ですが、昭和四十五年三月に廃止されました。

それに伴って、市電「中書島駅」も無くなります。
現在は、かつての市電の駅の近くに、京阪「中書島駅」が出来ています。

-終-

今回は、京阪「中書島駅」の坂本龍馬を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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伏見長州藩邸跡の石碑。

京阪「中書島駅」周辺を、散策しました
その時に、石碑を発見しました。

発見した石碑は、伏見長州藩邸跡の石碑です。

◆伏見長州藩邸についての簡単な説明◆

長州藩の藩祖は、毛利輝元です。
輝元は関ヶ原の戦いで、西軍の大将として参戦。

結果、敗北します。
そして、徳川家康により隠居させられました。

跡を継いだのが、その子である秀就です。
周防と長門の2国が、与えられます。

そして月日が流れ、京都伏見の中書島に藩邸を置きます。
中書島の新地開発にともなっての事です。

さらに月日は流れます。
幕末の元治元年に、長州藩家老・福原越後が武装蜂起。

伏見長州藩邸から、500名の兵を率いて。京へ進軍します。
しかし、途中で会津藩ら藩兵と衝突。

その結果、福原が率いる長州勢は敗走します。
伏見長州藩邸に戻ったのですが、砲撃にあい藩邸は焼け落ちていまいました。

-終-

今回は、伏見長州藩邸跡の石碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。

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寺田屋。宿泊や見学可能。

京阪「中書島駅」周辺を観光しました。
坂本龍馬ゆかりの寺田屋も見ました。

寺田屋は、現在でも宿泊予約や見学が可能です。

◆寺田屋についての簡単な説明◆

寺田屋は、京都市伏見区にあります。
かつての船宿で、現在は宿泊施設です。

薩摩急進派が関白九条尚忠と京都所司代の殺害を計画。
その時に、集合した宿としても有名です。

この計画は、同薩摩藩士により鎮圧。
失敗に終わり、9名の死亡者を出しました。

いわゆる、寺田屋事件(寺田屋騒動)です。
この他にも、もう1つ寺田屋事件が存在します。

それが、坂本龍馬襲撃事件です。
寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行所が襲撃。

龍馬は負傷しましたが、寺田屋から脱出。
薩摩藩によって、救出されました。

このように、寺田屋は幕末の事件に縁のある宿です。
ちなみに、幕末東寺の寺田屋は、鳥羽伏見の戦いの時に焼失しました。

現在の建物は、戦いの後に再建されたものです。

-終-

今回は、寺田屋を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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佛光寺の春。2018年の桜の開花状況。

佛光寺を、訪れました。
春の枝垂桜が、有名なお寺です。

◆佛光寺についての簡単な説明◆

佛光寺は、京都市下京区にあります。
真宗佛光寺派の本山であるお寺です。

親鸞聖人が越後に流罪になっていました。
その親鸞聖人が、一時帰洛を許されます。

この時に、高弟である源海上人が山科に寺院を創建しました。
この寺院が、佛光寺の起源と伝わっています。

そして、7世了源上人の時に、東山渋谷に寺基を移転。
この時、ある事件が起きます。

ご本尊の阿弥陀如来像が盗難事件です。
しかし、後醍醐天皇の夢により事件は解決しました。

夢の中では、本尊の阿弥陀如来像の瑞光が出現。
その光をたどると、無事に本尊が戻ってきました。

この事から後醍醐天皇から「阿弥陀佛光寺」の寺号を賜ります。
現在の地へ移ったのは、豊臣秀吉の時代です。

京都の桜の名所で、春には境内に枝垂桜が美しく咲きます。

-終-

今回は、そんな佛光寺の桜2018を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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中書島にある京橋。

京阪「中書島駅」周辺を、散策しました
その時に渡った橋が、京橋です。

◆京橋についての簡単な説明◆

伏見区にある京橋は、宇治川に注ぐ川に架かる橋です。
京橋周辺は、昔は船着場として栄えた場所でした。

三十石船や高瀬船、柴船などが、京橋の船着場に集まって、大変賑わっていました。
またそれに伴い、船宿も数十件立ち並びます。

しかし、時代ととも運搬手段は、舟から鉄道へと移行していきました。
舟の利用が少なくなるにつれ、京橋周辺も次第にさびれていきます。

そして、次々と船宿は閉業。
現在は、旅館「寺田屋」が昔の船宿の面影を残すのみです。

-終-

今回は、中書島にある京橋を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。

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