京都駅から東寺へと歩いていました。
その時に、発見したのが平重衡受戒の石碑です。
◆平重衡についての簡単な説明◆
平重衡は、平安時代の武将です。
平清盛の五男として生を受けました。
南都焼討で東大寺や興福寺を焼失。
水島の戦いなどで活躍し、勝利します。
しかし、一の谷の合戦で敗北。
捕虜になり、鎌倉へと護送されました。
その後、南都衆徒の要求により引き渡され、木津川の畔で斬首されました。
-終-
今回は、平重衡受戒の石碑を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
晴明神社には、陰陽師関連のものが多くあります。
日月柱と太陰太極図などです。
◆晴明神社についての簡単な説明◆
晴明神社は、京都市上京区にあります。
安倍晴明が祀られている神社です。
安倍晴明は、平安時代の陰陽師です。
天文暦学の道を極めました。
その安倍晴明の屋敷跡に、神社は建っています。
魔除けや厄除けに、ご利益がある神社です。
創建当時は、広大の敷地でした。
しかし、度重なる戦火などで縮小します。
社殿も荒れた状態が続きましたが、幕末以降社殿や境内が整備されました。
境内には、陰陽師関連のものが存在しています。
安倍晴明ファンも多く訪れる神社です。
-終-
今回は、そんな晴明神社の日月柱と太陰太極図を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。
晴明神社を、訪れた時の事です。
「千利休居士聚楽屋敷趾」の石碑を発見しました。
「千利休居士聚楽屋敷趾」とは、千利休屋敷跡の事です。
◆千利休についての簡単な説明◆
千利休は、安土桃山時代の茶人です。
わび茶の完成に、努めました。
茶聖とも呼ばれ、茶湯の天下三宗匠(※)の1人です。
(※今井宗久・津田宗及)
織田信長や豊臣秀吉の茶頭として仕えましたが、秀吉との関係に亀裂が入り、切腹へと追い込まれました。
-終-
今回は、そんな千利休屋敷跡の石碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。
晴明神社を、訪れました。
境内には、様々なものが置かれていました。
厄除桃も、その1つになります。
置かれている場所は、本殿の前です。
◆晴明神社についての簡単な説明◆
晴明神社は、京都市上京区にある神社です。
祭神として、安倍晴明を祀っています。
安倍晴明は、天文暦学の道を極めた人物です。
天文陰陽博士として、活躍しました。
神社の場所は、その安倍晴明の屋敷跡にあります。
魔除けや厄除けに、ご利益がある神社です。
創建当時は、広大の敷地でした。
しかし、度重なる戦火などで縮小しました。
社殿も荒れた状態が続きましたが、幕末以降社殿や境内が整備されました。
境内には、安倍晴明像や厄除桃などが存在しています。
安倍晴明ファンも多く訪れる神社です。
-終-
今回は、そんな晴明神社の晴明井を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。