京阪三条駅から粟田神社へ向かっている時の事です。
粟田口の石碑を発見しました。
◆粟田口についての簡単な説明◆
粟田口は、地名です。
三条通の白川橋東から蹴上付近の地名となります。
上記の土地付近は、粟田氏が本拠地としていました。
その事から、粟田郷と呼ばれていました。
平安時代に入り、粟田郷は交通の要地となります。
そして、粟田口と呼ばれるようになりました。
粟田口は、京都七口の1つです。
-終-
今回は、粟田口の石碑を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
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粟田口の石碑の概要
粟田口の石碑
粟田口は、地名です。
そんな粟田口の石碑を発見しました。
こちらが、粟田口の石碑になります。
京都の交通の要地。
そして、軍事上の要衝でした。
鎌倉・室町時代には、ここを利用して馬車や車借が物資を運んでいます。
江戸時代には、東海道五十三次の西の起点になりました。
また、平安時代末以降、刀鍛冶達が住んでいた場所です。
小狐丸を打った刀匠「三条小鍛冶宗近」が有名です。
江戸時代には、焼き物の産地にもなりました。
粟田焼と呼ばれ、人気がありました。
そんな粟田口を表す石碑です。
偶然見つけた時にでも、ちらっと見てみてはいかがでしょうか。
粟田口の石碑へのアクセス
粟田口の石碑への行き方です。
地下鉄「東山駅」から徒歩約10分。
(周辺地図、赤い丸の位置)