応仁の乱の勃発の地を、見てきました。
その時の写真は、「応仁の乱の勃発の地の碑」に掲載しています。
◆応仁の乱についての簡単な説明◆
室町時代の応仁元年に発生した内乱です。
その後、約11年も戦は続きました。
畠山氏の家督争いが、事の始まりです。
その家督争いが、山名宗全と細川勝元の勢力争いに発展。
その勢力争いに、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも絡み合い、東西両軍が全面的な戦へと突入しました。
約11年間続いた戦は、山名氏と細川氏の和睦が成立した事により、収束します。
-終-
そんな応仁の乱の勃発地に、石碑が建っています。
場所は、上御霊神社の鳥居の横です。
今回は、応仁の乱の勃発の地の碑を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
【スポンサーリンク】
応仁の乱、勃発の地の概要
応仁の乱の勃発の地の碑の見所
京都の人が「先の戦争」と言えば、「応仁の乱」の事を指す。
時々言われる事があります。
しかし私は、そのように答える人をネタ以外で見た事がありません。
ただ調べてみると、かなり年配の方に、そう答える人はいるみたいです。
そんなネタにもされる応仁の乱。
その戦の勃発の地を、見てきました。
見たと言っても、建っている石碑を見ただけですが……。
応仁の乱の勃発の地の碑が建っているのは、上御霊神社です。
上御霊神社は、京都市上京区にあります。
生起し名称は、「御靈神社」です。
京阪電車「出町柳駅」で下車。
そこから、徒歩で上御霊神社へ向かいました。
上御霊神社へ到着です。
この鳥居の南(右)側に、応仁の乱の勃発地の碑があります。
「応仁の乱 勃発地」の石碑です。
文正2年(1467)一月十八日、御霊の森(上御霊神社)で合戦が行われました。
これが、応仁の乱の始まりです。
畠山政長が自らの屋敷を焼き払い、御霊の森へ布陣を敷きます。
そこに、家督を争っていた畠山義就が、朝倉孝景と山名政豊の加勢を加え、攻撃を仕掛けました。
この戦の結果は、長政の退却で幕を閉じます。
この戦が前哨戦となり、応仁の乱へと発展します。
応仁の乱の始まりなので、応仁に起きた戦だと思っていました。
しかし、始まりは文正のようです。
この年に三月に、文正から応仁へと年号が変わります。
そして、約11年間続く本格的な戦へ突入しました。
上御霊神社へ訪れる事があれば、石碑も見ていって下さいね。
上御霊神社の駐車場
無料駐車場が完備されています。
普通車数台を、止める事が可能。
念のため、問い合わせてから参拝して下さい。