五条大橋の西側に、大田垣蓮月の歌碑が置かれています。
その歌碑を、五条大橋を渡る時に、見てきました。
その時の写真は、「大田垣蓮月の歌碑」に掲載しています。
◆大田垣蓮月について◆
京都生まれの江戸時代後期の女流歌人です。
夫と子供の死をきっかけに、出家しました。
そして、「蓮月」と名乗ります。
蓮月は、自詠の和歌を独特の書体で陶器に彫った「蓮月焼」を作り、生計を立てました。
この「蓮月焼」は、大人気の博します。
京のお土産として、購入するもいたほどです。
幕末に、西加茂村神光院の茶所に移り、晩年を過ごします。
そして、明治8年、85歳でこの世を去りました。
-終-
今回は、そんな大田垣蓮月の歌碑を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
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大田垣蓮月の歌碑の見所
大田垣蓮月の歌碑
五条大橋を渡って、清水寺へ行こうとしていた時の事です。
五条大橋を渡る手前で、ある歌碑を発見しました。
大田垣蓮月の歌碑です。
この時まで、大田垣蓮月の事は全く知りませんでした。
調べてみると、江戸時代後期の女流歌人だと判明。
しかも、結構名の知れた歌人だという事が分かりました。
京都三大祭りの1つである時代祭。
その行列にも、大田垣蓮月は登場します。
歌碑には、次のように刻まれていました。
「あすも来て 見んと 思へば 家づとに
手折るも をしき 山さくら花」
山桜の美しさを詠んだ歌です。
ちなみに「家づと」とは、家に持ち帰るお土産の事。
山桜の枝を折ってお土産として持ち帰っても、今見ている山桜の美しさには敵わない的な意味でしょうか。
適当なので、全く違う可能性が高いですが……。
とりあえず、山桜の美しさを詠んだ歌なのは確かです。
この歌碑は、五条大橋の北西側に置かれています。
なぜこの場所に、大田垣蓮月の歌碑が置かれているか分かりません。
大田垣蓮月は、頻繁に引っ越しする事で有名だったそうです。
その引っ越し先の1つが、この辺りだったんでしょうか。
五条大橋を渡る機会がある方。
そのついでに、大田垣蓮月の歌碑も見てみて下さいね。
大田垣蓮月の歌碑へのアクセス
大田垣蓮月の歌碑への行き方です。
京阪電車「清水五条駅」で下車。
徒歩2分~3分で到着。
(周辺地図)