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大村益次郎の遭難之碑。

京都を歩くと、よく石碑を発見します。
大村益次郎遭難之碑も、その1つです。

石碑は、「大村益次郎遭難之碑」に掲載しています。

大村益次郎についての簡単な説明

大村益次郎は、江戸時代後期の長州藩士です。
医師でもあり、兵学者でもあります。

長州藩の軍事指導者として活躍しました。
戊辰戦争などで長州藩兵を指揮した人物です。

その功績から維新後、兵部大輔に任命。
近代兵制樹立に尽力をしました。

しかし、廃刀論で士族の反感を買い、明治2年に三条木屋町にて反対派士族に襲撃されました。

そして、その年に敗血症で死去します。
維新の十傑の1人に数えられる人物です。

-終-

今回は、そんな大村益次郎遭難之碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。

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大村益次郎遭難之碑の概要

大村益次郎遭難之碑

木屋町通を歩いて、京都御苑に向かっていた時の事です。
佐久間象山遭難之碑(※)を発見しました。

※佐久間象山遭難之碑は、こちらに掲載しています。
佐久間象山の遭難之碑。

その横に、大村益次郎遭難之碑も建っていました。

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左が、大村益次郎遭難之碑。
右が、佐久間象山遭難之碑です。

どちらも立派な石碑です。
さすが、幕末の功労者の石碑だけあります。

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アップにすると、このような感じです。
「大村益次郎卿遭難之碑」と刻まれています。

「遭難」とは、生命の関わる災難に遭う事。
広い意味で、暗殺や襲撃で亡くなる事も含まれます。

今回の遭難は、暗殺や襲撃で亡くなった事を指しています。

石碑がある場所は、御池通と押小通の間です。
上木屋町幾松の前に、石碑は建っています。

高瀬川越しに建っているので、近づく事は出来ません。
その点は、ご注意ください。

大村益次郎遭難之碑へのアクセス

大村益次郎遭難之碑への行き方です。

京阪「三条駅」か「神宮丸太町駅」で下車。
徒歩約10分~15分で到着します。

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(周辺地図)