京都旅行のオススメ

京都や他府県の旅行と観光関連の事を書いているブログです。おすすめではない情報もチラホラ。

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仁和寺の御朱印と御朱印帳。

仁和寺の御朱印を、拝受しました。
仁和寺は、京都市右京区にあります。

仁和寺の御朱印は、通常のものがあります。
また、日にち限定の御朱印を頂く事が可能です。

それでは、オリジナルの御朱印帳はあるのでしょうか。
仁和寺の御朱印帳は、授与されています。

御朱印帳の種類は、4種類です。
その中でも、御室桜の御朱印帳が人気があります。

御朱印を頂ける場所は、御殿入口の売店。
または、金堂前の納経所です。

拝観受付時間は、9時か16時30分(※)です。
(※季節によって若干変化します)

今回は、仁和寺の御朱印と御朱印帳を紹介します。
何かの役に立てば幸いです。

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本能寺で不動行光と薬研藤四郎を撮影。

本能寺に、不動行光と薬研藤四郎がいます(※)。
(※等身大パネル)

その不動行光と薬研藤四郎を、撮影してきました。

2人は、刀剣乱舞に出てくる刀剣男士になります。
刀剣乱舞は、擬人化した刀剣が出てくるゲームの事です。

なぜ本能寺に、2人のパネルが設置されているのでしょうか。
それには、織田信長が関係しています

不動行光と薬研藤四郎。
共に織田信長の愛刀でした。

そして、2振とも本能寺の変の時に、同寺にあったと伝えられています。
本能寺の変は、織田信長が襲撃され自害した歴史上の事件です。

◆不動行光の簡単な説明◆

不動行光と書いて、読み方は「ふどうゆきみつ」です。
鎌倉時代の刀工・藤三郎行光作の短刀となります。

織田信長の愛刀で、信長が「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」と歌い自慢したと伝えられています。

後に、織田信長の小姓である森蘭丸が拝領。
本能寺の変の時に、焼き身になったそうです。

不動行光の名称は、「不動明王と矜羯羅童子、制多迦童子が浮彫されていた事」から付けられました。

現在は、個人の所有です。

-終-

◆薬研藤四郎の簡単な説明◆

薬研藤四郎と書いて、読み方は「やげんとうしろう」です。
鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀となります。

織田信長の愛刀です。
信長が、肌身離さず所持していたと伝えられています。

そのため、本能寺の変の時に焼失しました。
現在でも、その消息は分かっていません。

畠山政長が、この短刀で切腹をしようとした時、何度試みても、お腹に決して短刀が刺さる事はありませんでした。

それに苛立った政長は、短刀を投げつけます。
すると近くにあった「薬師」に、見事に刺さりました。

その事から、薬研藤四郎と付けられます。
「薬師」とは、薬草などを挽く鉄製の道具の事です。

-終-

今回は、本能寺で不動行光と薬研藤四郎を撮影した話です。
撮影した写真は、下記に掲載しています。

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毘沙門堂の御朱印と御朱印帳。

毘沙門堂の御朱印を、拝受しました。
毘沙門堂は、京都市山科区にあります。

毘沙門堂の御朱印は、通常のものがあります。
また、期間限定、数量限定の御朱印を頂く事が可能です。

それでは、オリジナルの御朱印帳はあるのでしょうか。
毘沙門堂の御朱印帳は、存在します。

御朱印帳も、通常頂けるものと数量限定のものが存在しています。

御朱印を頂ける場所は、社務所となります。
拝観受付時間は、9時か16時30分(※)です。
(※季節によって若干変化します)

今回は、毘沙門堂の御朱印と御朱印帳を紹介します。
何かの役に立てば幸いです。

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建勲神社で宗三左文字を撮影。

建勲神社に、宗三左文字の等身大パネルが置かれています。
その宗三左文字を、撮影してきました。

宗三左文字は、刀剣乱舞に出てくる刀剣男士の1人になります。
刀剣乱舞は、擬人化した刀剣が出てくるゲームの事です。

なぜ建勲神社に、宗三左文字のパネルが置かれているのでしょうか。
それは、建勲神社が、宗三左文字の所蔵しているからです。

もちろん、建勲神社が所蔵しているのは、本物の刀の方となります。
そのような理由で、宗三左文字のパネルが境内に置かれている訳です。

ただし、パネルの設置は期間限定となっています。
期間が過ぎれば、建勲神社でその姿を見る事が出来ません。

◆宗三左文字の簡単な説明◆

宗三左文字と書いて、読み方は「そうざさもんじ」です。
南北朝時代に作られた刀となります。

元は今川義元の愛刀です。
織田信長が、今川義元を討ち取った時に、戦利品として持ち帰りました。

名称は、「宗三左文字」「三好左文字」「義元左文字」「信長左文字」。
持ち主が変更する度に、名称が増えていった刀です。

刃長は、二尺二寸一分半(約67㎝)。
反りは、五部三厘(約1.6㎝)。

現在は、建勲神社の所蔵です。
国の重要文化財に指定されています。

-終-

今回は、建勲神社で宗三左文字を撮影した話です。
撮影した写真は、下記に掲載しています。

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粟田神社で一期一振と秋田藤四郎を撮影。

粟田神社に、一期一振と秋田藤四郎が滞在中です(※)。
(※等身大パネルが置いていあります)

その一期一振と秋田藤四郎を、撮影してきました。

2人は、刀剣乱舞に出てくる刀剣男士になります。
刀剣乱舞は、擬人化した刀剣が出てくるゲームの事です。

なぜ粟田神社に、2人のパネルが設置されているのでしょうか。
大きな理由は、2つあると思います。

まず1つ目が、粟田神社がある場所が、粟田口だからです。
粟田口は、昔は刀鍛冶が住居を構えていた地でした。

一期一振と秋田藤四郎を作った刀鍛冶・粟田口吉光。
彼もその内の1人です。

2つ目が、粟田神社にある末社の鍛冶神社です。
鍛冶神社には粟田口吉光が、鍛冶の神様として祀られています。

粟田神社は、一期一振と秋田藤四郎ゆかりの神社なのです。
そのような理由で、2人の等身大パネルが設置されています。

◆一期一振の簡単な説明◆

一期一振と書いて、読み方は「いちごひとふり」です。
鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の太刀となります。

粟田口吉光が作った唯一の太刀と伝わっています。
名称は、「太刀 額銘吉光(名物一期一振)」です。

刃長は、二尺二寸(約69㎝)。
反りは、八部五厘(約2.58㎝)。

一期一振の名称は、「粟田口吉光が作った太刀は生涯この一振のみ」という事から付けられました。

現在は、皇室の御物として宮内庁侍従職が管理しています。

-終-

◆秋田藤四郎の簡単な説明◆

秋田藤四郎と書いて、読み方は「あきたとうしろう」です。
鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀となります。

粟田口吉光が作った短刀の中でも、名作と評判の一振です。
名称は、「短刀 銘吉光(名物秋田吉光)」です。

刃長は、七寸四分(約25.5㎝)。
刀身の表に梵字と素剣、裏に護摩箸の彫刻がほどこされています。

秋田藤四郎の名称は、「豊臣秀吉に仕えた戦国大名・秋田実季(あきたさねすえ)が所有した事」から付けられました。

現在は、個人の所蔵(京都国立博物館寄託)となっています。
重要文化財に指定されている刀です。

-終-

今回は、粟田神社で一期一振と秋田藤四郎を撮影した話です。
撮影した写真は、下記に掲載しています。

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