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鳥羽伏見の戦いの弾痕。

京都市 伏見区京町3丁目187番地。
京都伏見の料亭「魚三楼」がある場所です。

そして、この場所で「鳥羽伏見戦の弾痕」を見る事が出来ます。
その写真は、「鳥羽伏見の戦いの弾痕」に掲載しています。

鳥羽伏見の戦いについての簡単な説明

鳥羽伏見の戦いは、旧幕府軍と新政府軍との内戦です。
慶応4年1月3日に、開戦されました。

戊辰戦争の緒戦となった戦いでもあります。
下鳥羽、竹田、伏見で、行われました。

結果は、旧幕府軍の大敗で終わります。

-終-

今回は、そんな鳥羽伏見の戦いの時の弾痕を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。

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鳥羽伏見の戦いの弾痕の概要

鳥羽伏見の戦いの弾痕

御香宮神社で、御朱印を拝受。
(※御香宮神社の御朱印と御朱印帳。

神社を後にして、周辺をぷらりと散策しました。
その時に発見したのが、鳥羽伏見の戦いの弾痕です。

鳥羽・伏見の戦いは、薩長士連合と江戸幕府軍の間で行われた戦いです。

幕府の大政奉還の奏上。
その後、朝廷は王政復古の令を出します。

直後、将軍慶喜の辞官と納地(※)が決定されました。
(※一切の官職と幕府領の返上)

それに激怒した江戸幕府軍が、京へと攻め上ります。
薩長士連合は、これを鳥羽伏見で迎え撃ちました。

この戦は、薩長士連合の勝利。
江戸幕府軍は、大阪方面へと退却します。

こうして、鳥羽伏見の戦いは終了。
伏見の町の南半分が焼失する大惨事となりました。

そんな中、建物の弾痕のみの被害で、焼失を免れた所がありました。
それが、京都伏見の料亭「魚三楼」です。

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鳥羽伏見の戦いの銃弾痕です。

京都市内の各地を歩くと、幕末の頃についた刀傷や弾痕を発見する事が出来ます。

禁門の変の時に出来た蛤御門の弾痕。
蛤御門の弾痕。

池田屋事件の時について、三条大橋擬宝珠の刀傷。
三条大橋の擬宝珠の刀傷跡。

幕末が好きな方は、ぜひ市内を歩いてみて下さい。
各地に幕末の痕跡を発見出来ますよ。

魚三楼の駐車場

ありません。

魚三楼へのアクセス

魚三楼への行き方です。

京阪「伏見桃山駅」で下車。
徒歩約1分。

近鉄「桃山御陵前駅」で下車。
徒歩約2分。

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(周辺地図)