粟嶋堂から京都駅へ、歩いていた時の事です。
新選組最後の洛中屋敷跡の石碑を発見しました。
石碑の写真は、「新選組最後の洛中屋敷跡の石碑」に掲載しています。
◆新選組についての簡単な説明◆
新選組は、江戸時代末期に結成された武力組織です。
主に京にて、近藤勇・土方歳三を中心に活動しました。
京都守護職である松平容保の下、京の尊攘・討幕派を弾圧します。
大政奉還以後、新政府と旧幕府が対立。
新選組は、旧幕府軍として鳥羽伏見の戦いに参加しました。
その戦いで、旧幕府軍は敗北。
新選組も多くの戦死者を出しました。
その後、下総の流山で近藤勇が捕らえられ、処刑。
土方歳三は、函館戦争にて戦死しました。
-終-
今回は、そんな新選組最後の洛中屋敷跡の石碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。
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新選組最後の洛中屋敷跡の石碑の概要
新選組最後の洛中屋敷跡の石碑
石碑の写真を、撮影するのが好きです。
京都市内を歩いていると、多くの石碑に出会えます。
そのため、市内を歩く事が多いです。
新選組最後の洛中屋敷跡の石碑も、歩いている時に見つけました。
新選組最後の洛中屋敷跡の石碑です。
場所は、ハトヤ瑞鳳閣の東側に建っています。
ハトヤ瑞鳳閣は、京都駅から徒歩5分程の場所にあるホテルです。
新選組は、池田屋時間や禁門の変などで活躍。
局長の近藤勇も高く評価されました。
そして、将軍徳川慶喜の直属の軍隊になります。
これに合わせて、新屋敷を建設しました。
その時に建設した屋敷跡を、石碑は示しています。
ただ、新選組が新屋敷に滞在した期間は、とても短かったようです。
王政復古により、新屋敷で過ごしたのは、半年ほどでした。
この翌年、鳥羽伏見の戦いで、新選組は敗北。
そして、壊滅の道へと進んでいきました。
京都市内の各地には、様々な石碑が建っています。
ぜひ散策して、探してみて下さいね。
新選組最後の洛中屋敷跡の石碑へのアクセス
新選組最後の洛中屋敷跡の石碑への行き方です。
京都駅から徒歩5分ほどで到着します。
(周辺地図)