坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地を、見てきました。
その時の写真は、「坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地」に掲載しています。
坂本龍馬と中岡慎太郎。
共に、幕末の志士です。
そして、共に暗殺者に襲われました。
襲われた場所は、醤油商であった近江屋です。
◆坂本龍馬についての簡単な説明◆
坂本龍馬は、江戸時代の土佐藩郷士です。
脱藩後に、志士として活動しました。
薩摩藩と長州藩の間に入り、両藩の同盟が結ばれるよう尽力します。
また、大政奉還の成立に力を入れました。
大政奉還後、近江屋にて襲撃に遭い亡くなります。
-終-
◆中岡慎太郎についての簡単な説明◆
幕末に活動した志士です。
また、陸援隊隊長でもあります。
坂本龍馬と共に、薩長同盟の斡旋に尽力しました。
薩長同盟の成立は、中岡慎太郎の力がかなり大きかったそうです。
大政奉還後、近江屋にて襲撃に遭います。
同じ場所にいた坂本龍馬は、その時に亡くなりました。
また中岡慎太郎も、瀕死の重傷を負います。
そして、2日後に亡くなりました。
-終-
そんな坂本龍馬と中岡慎太郎。
2人が襲われた近江屋の跡に、石碑が建っています。
今回は、坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地を紹介です。
何かの参考になれば、幸いです。
【スポンサーリンク】
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地の概要
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地
京都市内には、坂本龍馬の痕跡を多々発見する事が出来ます。
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地の、その中の1つです。
遭難とは、生命に関わるような災難や危険に遭う事。
また、広い意味では、暗殺事件なども含まれます。
すなわち、坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地とは、坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた場所の事です。
2人が襲われた場所は、醤油商を営む近江屋。
その母屋の2階で、襲撃に遭いました。
現在のその場所は、その当時の面影は全くありません。
石碑と坂本龍馬の全身が描かれた絵が置かれているだけです。
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地へ、到着しました。
現在は、このような感じです。
こちらが昔撮影した、坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地の写真です。
今は潰れましたが、以前はコンビニの前にありました。
この頃に比べると、今の方が若干マシのような気がします。
龍馬は、海援隊の本部があった酢屋に下宿していました。
しかし、前年起きた寺田屋事件により、幕府から命を狙われる事に。
その事に警戒して、下宿先を移動します。
移動先は、近江屋です。
しかしその結果、中岡慎太郎ともに襲撃に遭ってしまいます。
坂本龍馬三十三歳、中岡慎太郎三十歳の事でした。
現在2人は、京都霊山護国神社へと埋葬されています。
機会があれば、坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地。
そして、京都霊山護国神社へ訪れてみて下さい。
駐車場
ありません。
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地へのアクセス
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地への行き方です。
京阪電車「祇園四条駅」下車。
あるいは、阪急「河原町駅」で下車
そこから、徒歩5分~7分。
(周辺地図)