即宗院を訪れた時、西郷隆盛密議の地を見てきました。
この時の写真は、「西郷隆盛密議の地」に掲載しています。
◆即宗院について◆
即宗院は、東福寺の塔頭寺院です。
九州薩摩藩の島津氏久公が、剛中玄柔禅師(東福寺第54世住持)を開山として建立しました。
寺名は、島津氏久公の法名から付けられました。
氏久公の法名は、「齢岳玄久即宗院」です。
西郷隆盛のゆかりのお寺でもあります。
即宗院の採薪亭で、僧の月照と幕府転覆の密議を重ねました。
京都の紅葉の名所で、秋には木々が庭園を美しく彩ります。
また、千両が美しい事でも有名です。
通常は、非公開となっています。
しかし、秋の紅葉の時期には、特別公開されます。
(※即宗院の紅葉は、こちらに掲載しています。
★即宗院の紅葉。月輪殿跡の庭園で見頃。)
その時には、限定の御朱印も授与可能です。
(※即宗院の御朱印は、こちらを参考にして下さい。
★即宗院の御朱印。)
-終-
今回は、そんな即宗院にある西郷隆盛密議の地を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。
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西郷隆盛密議の地の見所
西郷隆盛密議の地
即宗院は、通常非公開のお寺です。
しかし、秋には特別公開が行われます。
その特別公開の時に、紅葉を見るために訪れました。
即宗院は、京都の紅葉の名所です。
紅葉を目当てに訪れた即宗院。
しかし、紅葉以外にも見所がありました。
その見頃の1つが、西郷隆盛密議の地です。
◆西郷隆盛について簡単な説明◆
西郷隆盛は、幕末の薩摩藩の武士です。
明治維新後は、政治家兼軍人として活躍しました。
しかし、後に明治政府と戦う事になります。
その戦いが、西南戦争です。
この戦いに敗れた西郷隆盛は、戦死。
享年51歳で、この世を去りました。
死後は、賊軍の将として扱われましたが、明治天皇の意向や黒田清隆らの尽力により、正三位を追贈される事になりました。
-終-
そんな西郷隆盛が、月照と密議を行った場所が、即宗院なのです。
ちなみにこの場所で、密談したか分かりません。
ただ、西郷隆盛密談の地の駒札は立っていました。
西郷が月照と密談を行ったのは、幕末の頃です。
尊王攘夷運動の弾圧を行っていた井伊直弼。
その井伊打倒について、即宗院の採薪亭で話し合われていました。
この後、危機が迫ったので、月照ともに伏見に脱出します。
そして、薩摩へと逃れましたが、月照は中錦江湾に身を投げ、西郷は大島へと流されてしまいました。
そんな歴史の一端を垣間見れる即宗院。
特別公開の時にしか入れませんが、機会があれば訪れてみて下さい。
とても紅葉が、綺麗な場所です。
また、混雑もあまりしないので、おススメの穴場です。
即宗院の駐車場
東福寺の駐車場を、利用する事になります。
車で行かれる方は、利用を検討してみてはいかがでしょうか。
自転車置き場もありますので、自転車で行く事が出来ますよ。
ただし、秋の特別拝観期間中は、閉鎖されています。
ご注意下さい。
即宗院へのアクセス
東福寺とアクセス方法は、同じです。
JR京都駅からJR奈良線に乗車、1駅目の東福寺駅で下車。
徒歩で、約10分。
京阪東福寺駅からも同じく歩いて約10分で到着。
市バスを利用する場合、202・207・208系統に乗車。
東福寺バス停留所で下車。
さらに詳しいアクセス方法は、こちらを参考にして下さい。
★東福寺へのアクセス。京都駅からの行き方。駐車所はあり。
(周辺地図)