丸太町通りの鴨川西南詰に、ある石碑があります。
女紅場址の石碑です。
◆女紅場についての簡単な説明◆
女紅場とは、明治初期に設置された女子教育機関の事です。
女紅場と書いて、読み方は「にょこうば」になります。
女紅場では、読み書き算盤や裁縫・手芸を教えていました。
新島八重が、京都の女紅場で織物を教えていた話は有名です。
明治5年(1872)、新英学校女紅場が開設されます。
そして、女学校を経て、京都府立京都第一高等女学校になります。
京都府立京都第一高等女学校の開設は、明治34年(1901)の事です。
そして現在は、京都府立鴨沂高等学校になりました。
丸太町通りの鴨川西南詰に「女紅場址」の碑があります。
かつて、女紅場があった事を示す石碑です。
-終-
今回は、女紅場址の石碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。
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女紅場跡の石碑の概要
女紅場址の石碑
京都市内を歩いていると、なぞの石碑を発見する事があります。
女紅場跡の石碑の石碑も、その1つです。
女紅場址の石碑になります。
初め石碑を見た時、「じょこうばあと」と読んだ記憶があります。
昔は、女性が働く工場の事を、紅場と呼んでいたのかな?。
ところが調べてみると、全く違っていました。
女紅場と書いて「にょこうば」。
そして、女子教育機関の事でした。
女紅場と名付けられた女子教育機関は、明治初期には多くの場所にあったそうです。
この石碑が示す女紅場は、女子に高等教育を施す学校の事になります。
ある意味、女性の自立を目指した第一歩の石碑なのではないでしょうか。
女紅場址の石碑へのアクセス
女紅場址の石碑への行き方です。
京阪「神宮丸太町駅」で下車。
徒歩約2分で到着。
(周辺地図)