京都御苑を向かっていた時の事です。
法雲寺の前で、石碑を発見しました。
久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑です。
その写真は、「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑」に掲載しています。
◆久坂玄瑞・吉田稔麿についての簡単な説明◆
久坂玄瑞・吉田稔麿は、長州藩士です。
久坂玄瑞、吉田稔麿、そして高杉晋作を加えて、松陰門下の三秀と呼ばれています。
-終-
今回は、久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑を紹介します。
何かの役に立てば、幸いです。
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久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑の概要
久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑
法雲寺は、京都市中京区にあるお寺です。
その入口に、久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑が建っています。
久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑です。
寓居とは、一時期に身を寄せている場所、仮住まいの事です。
幕末の頃、京都の木屋町には多くの志士が居住していました。
長州藩では、桂小五郎や久坂玄瑞らもこの辺りに住んでいます。
法雲寺も、その中の1つでした。
久坂玄瑞ら長州藩士は、中老格長井雅楽殺害に失敗します。
久坂は、長州藩の家老浦靱負に自首をしました。
その結果、謹慎。
謹慎先に選ばれたのが、法雲寺です。
また、吉田稔麿は亡命生活の途中に自首。
同じく法雲寺で謹慎生活を送りました。
法雲寺には、何度か訪れた事があります。
しかし、その時は、このような石碑は建っていませんでした。
何度か訪れた場所でも、新しい発見はあるものですね。
石碑好きとしては、嬉しい発見でした。
法雲寺は、京都でも有名な縁切り寺です。
悪縁を切ってくれます。
法雲寺に悪縁を切りに行った時に、石碑もちらって見てみて下さいね。
ちなみに久坂玄瑞は、このような顔をしていたみたいです。
久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑へのアクセス
久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡の石碑への行き方です。
地下鉄「京都市役所駅」から徒歩10分ほどで到着します。
(周辺地図)