読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

京都旅行のオススメ

京都や他府県の旅行と観光関連の事を書いているブログです。おすすめではない情報もチラホラ。

【スポンサーリンク】

蹴上の由来と源義経。

蹴上という地域が、京都市にあります。
読み方は、蹴上と書いて「けあげ」です。

山科盆地から日ノ岡峠を越えて京都へ入る場所が、蹴上という地域になります。

観光名所は、南禅寺やインクラインです。
私も南禅寺へ桜や紅葉を見に行く時には、この地域をよく通ります。

そんな蹴上なのですが、どのような由来で「蹴上(けあげ)」と呼ばれるようになったのでしょうか。

その由来は、「蹴上の由来」に掲載しています。
諸説はありますが、ここでは源義経が関係しているの説です。

今回は、蹴上の由来を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

【スポンサーリンク】



蹴上の由来の概要

蹴上の由来

蹴上には、よく訪れます。
冒頭にも書きましたが、南禅寺があるからです。

春の桜と秋の紅葉の時期の年に2回は、南禅寺の紅葉を見るために必ず訪れます。

ただ、蹴上という地名については、気にした事がなかったです。
「けりあげ」と読むのかなと悩んだ事はありましたが……。

そんな蹴上の由来を、知る機会がありました。
それは、某TV番組を見ていた時の事です。

その番組では、京都の怖い地名を特集していました。
その中に、蹴上が紹介されていたのです。

◆蹴上の由来◆

源義経が、鞍馬山で金売吉次という商人に出会いました。
金売の案内で、奥州へ向かいます。

その道中、日ノ岡峠へ立ち寄りました。
日向大明宮へ、道中の安全祈願をするためです。

無事に安全祈願をした義経は、日ノ岡峠でお供と別れを告げます。
そこに、平家の武士9人が馬に乗って、通りかかります。

その時、平家の乗る馬が水溜まりを、蹴り上げてしまいました。
跳ね上がった水は、義経の衣服を汚します。

晴れの門出を台無しにされた義経は、激怒。
9人の平家の武士を斬り捨てました。

その後、軽率な行いを悔いた義経は、9体の石仏を作って弔います。
この事から、この地域は「蹴上(けあげ)」と呼ばれるようになりました。

-終-

現在と源義経が生きていた時代では、倫理観はかなり違います。
それでも、義経短気過ぎと思うのは、私だけでしょうか。

f:id:sarunokinobori:20170504224247j:plain
蹴上の由来には、もう1つ有名な「粟田口刑場説」あります。

粟田口刑場に収容された罪人を蹴り上げて、斬首する場所まで連れて行ったので、蹴上と呼ばれるようになったという説です。

平安時代から江戸時代末期まで、戦の場となる事が多かった京都。
そんな京都らしい地名の由来だなとは思いました。

f:id:sarunokinobori:20170504224231j:plain
現在の蹴上は、このような感じとなっています。
道路の奥が、京都の桜の名所であるインクラインです。

今は、京都の桜が見頃を迎える頃、多くの観光者が訪れる、ごく普通の場所となっています。

ぜひ春に訪れて、桜を楽しんで下さい。

蹴上へのアクセス

蹴上への行き方です。

地下鉄「蹴上駅」下車。
地上に出れば、蹴上です。

f:id:sarunokinobori:20170504224256j:plain
(周辺地図)