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西本願寺と東本願寺の違い。

京都には、2つの本願寺があります。
どちらも京都駅から徒歩圏内に、存在しているお寺です。

どっちがおススメとかは、正直ありません。
どちらも歩いて行き来出来るので、両寺の観光がおススメです。

◆西本願寺についての簡単な説明◆

西本願寺は、京都市下京区にあるお寺です。
浄土真宗本願寺派の本山になります。

文永9年(1272)に、宗祖・親鸞聖人の末娘覚信尼が京都の東山大谷に建立した廟堂が始まりです。

その後、大阪や和歌山などに寺地を移します。
現在の地へ移ったのは、天正19年(1591)の事です。

現在の場所の寺地を寄進したのは、豊臣秀吉です。
そして、慶長7年(1602)に、東西に分立しました。

御影堂と阿弥陀堂は、国宝に指定されています。
また、桃山文化を伝える唐門も国宝の建造物です。

京都の世界遺産の1つに登録されています。

-終-

◆東本願寺についての簡単な説明◆

西本願寺は、京都市下京区にあるお寺です。
真宗大谷派の本山になります。

慶長7年(1602)に、本願寺から分立。
徳川家康から寺地を寄進され、現在の地に建立しました。

御影堂は、世界の中でも最大級の木造建築です。
また、阿弥陀堂には、本尊の阿弥陀如来を安置しています。

飛地境内地の渉成園は、石川丈山による作庭です。
京都の桜の名所にして穴場で、密かに人気があります。

-終-

今回は、西本願寺と東本願寺の違いを紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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西本願寺と東本願寺の違いの概要

西本願寺と東本願寺の違い

西本願寺と東本願寺。
本願寺には、大きく3人の人物が関係しています。

その3人とは、歴史の中でもかなり有名な人物です。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康になります。

まず、分裂の火種を作ったのは、織田信長です。
天下統一を目指していた織田信長。

彼が目を付けたのが、広大な本願寺です。
明け渡すように、本願寺へ命じます。

当然、本願寺側は断ります。
そして、信長側と本願寺側の交戦が始まりました。

のちに石川の合戦とよばれる戦いです。
この戦いは、10年間続きます。

戦が始まってから10年後、信長は正親町天皇を仲裁に立てて、本願寺に和議を求めました。

この和議が、本願寺分裂に火種になります。
この和議に対して本願寺は、和睦派と抗戦派に分かれました。

顕如上人と次男の准如が、和睦派。
長男の教如が、抗戦派です。

結果、顕如上人(和睦派)が教如(抗戦派)と義絶し、石川の合戦は終了しました。

その後、顕如上人は、教如の義絶を解きます。
しかし、2人の仲は修復する事はありませんでした。

顕如上人は、准如に本願寺十二代目の宗主の職を譲ります。
そして、豊臣秀吉から寄進された寺地に、本願寺を建てました。

これが、現在の西本願寺です。
秀吉の時代は、本願寺は1つでした。

その本願寺を2つに分けた人物がいます。
徳川家康です。

家康は、本願寺の勢力を削ぐために不遇の教如に目を付けました。
寺地を寄進して、新たに本願寺を建立させる事に成功します。

家康が寄進した場所に建ったのが、現在の東本願寺です。
秀吉の意向で建った西本願寺、家康の計略で建った東本願寺。

違いは、このような感じでしょうか。
宗教には疎いので、そこに関しては何も言う事はありません。

観光目的で言うと、どっちのお寺もおススメです。
京都駅から徒歩で行く事が出来るのが、良い点だと思います。

両方のお寺も、徒歩で行き来出来ます。
観光するなら、どちらもお寺もぜひ1度訪れてみて下さい。

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季節で訪れるなら、春なら東本願寺から渉成園へ移動しての桜。

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そして、秋なら西本願寺のイチョウの黄葉がおススメですよ。

北野天満宮の駐車場

北野天満宮には、参拝者用の駐車場が存在します。
開場時間は、9時から17時です。

西本願寺と東本願寺へのアクセス

西本願寺と東本願寺への行き方です。

京都駅から徒歩15分と徒歩5分。

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(周辺地図)

西本願寺と東本願寺の関連情報
西本願寺の紅葉。イチョウが見頃。
飛雲閣のライトアップ。特別公開で観賞。
渉成園の桜。見頃や開花状況。穴場です。