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五辻殿跡と後鳥羽上皇。

京都市内を歩いている時、五辻殿跡の石碑を発見しました。
その時の写真は、「五辻殿跡と後鳥羽上皇」に掲載しています。

五辻殿跡は、京都市上京区にある石碑です。
石碑は、後鳥羽上皇の院御所を表しています。

◆後鳥羽上皇についての簡単な説明◆

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天皇です。
三種の神器の継承なしに即位しました。

為仁 (土御門天皇) に譲位後、順徳、仲恭の3代にわたり、院政を行います。
そして、「鎌倉幕府の執権の北条義時を討て」という院宣を出しました。

この院宣、承久の乱を続きます。
結果、後鳥羽上皇は敗北して、隠岐島へと流されました。

後鳥羽上皇は、優れた歌人としても有名です。
「新古今和歌集」は、後鳥羽上皇の命によって編まれた勅撰和歌集です。

-終-

今回は、そんな後鳥羽上皇の院御所を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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五辻殿跡の概要

五辻殿跡と後鳥羽上皇

京都市内を歩いていると、石碑によく出くわします。
五辻殿跡の石碑も、市内を歩いている時に発見しました。

北野天満宮から白峯神宮へ、歩いて向かっていた時の事です。
五辻通を歩いると、石碑を発見しました。

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その石碑が、こちらです。

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五辻殿跡の石碑となります。
後鳥羽上皇の院御所(※)があった事を、示したものです。
(※院御所とは、退位した天皇の住まいの事)

五辻殿は、坊門信清によって造進されました。
坊門信清は、後鳥羽上皇の生母の弟です。

後鳥羽上皇の院御所は、いくつか存在しました。
主に高陽院と二条殿を、使用していたと伝えられています。

五辻殿の使用は、それ程長くはなかったようです。

五辻殿跡の石碑だけを見に行くのは、あまりお勧めしません。
ただ、北野天満宮から白峯神宮へ歩いて行こうと思っている方。

そんな方は、五辻通を歩いて向かったみませんか。
そして、五辻殿跡の石碑を見てみて下さい。

五辻殿跡の石碑へのアクセス

五辻殿跡の石碑への行き方です。

北野天満宮から五辻通を東に歩いて、約15分。

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(周辺地図)