京都旅行のオススメ

京都や他府県の旅行と観光関連の事を書いているブログです。おすすめではない情報もチラホラ。

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松尾大社のカギカズラ。

松尾大社を訪れた時、カギカズラを発見しました。
その時の写真は、「松尾大社のカギカズラ」に掲載しています。

◆カギカズラの簡単な説明◆

カギカズラは、アカネ科カギカズラ属の植物です。
本州の房総半島以南の山林に自生しています。

枝はつる状になって水平に伸び、葉は楕円形をしています。
最も特徴があるのは、葉の近くにある茎の部分です。

この茎の部分が、鉤状になっています。
鉤の部分は、他の植物などの絡みつくようになっています。

6月から7月頃に咲く花は、淡黄色をした球体です。

-終-

今回は、そんな松尾大社のカギカズラを紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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立本寺の蓮とメダカ。

立本寺を訪れた時、蓮の花を見てきました。
立本寺の蓮は、本堂前の鉢の上に咲いています。

また、鉢の中には、メダカも泳いでいました。
そのメダカも、撮る事に成功。

その時の写真は、「立本寺の蓮」に掲載しています。

◆立本寺について◆

立本寺は、京都市上京区にあるお寺です。
四条大宮にあった妙顕寺龍華院が、始まりと伝えられています。

妙顕寺龍華院は、比叡山の衆徒により破却。
その後、立本寺として再興しました。

宝永の大火で焼けた後、現在の場所へと移りました。
以後、場所は変わっていません。

境内には、石田三成の軍師だる島左近らのお墓があります。

また、京都の隠れた桜の名所です。
そして、蓮の花も楽しめるお寺となっています。

-終-

今回は、そんな立本寺の蓮を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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山蔭神社のご利益。料理上達におススメ。

吉田神社を訪れた時、山蔭神社にも参詣しました。
山蔭神社は、吉田神社の境内社です。

参詣の様子は、「山蔭神社のご利益」に掲載しています。

◆吉田神社について◆

吉田神社は、京都市左京区にある神社です。
貞観元年に、平安京の守護神として創建されました。

祭神として、4柱祀られています。

第一殿:健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
第二殿:伊波比主命(いはいぬしのみこと)
第三殿:天之子八根命(あめのこやねのみこと)
第四殿:比売神(ひめがみ)

第一殿と第二殿は、厄除・開運の神様となります。
第三殿は学問の神様、第四殿が女性の神様です。

吉田神社では、年間様々な行事が行われます。
その中でも、特に節分が有名な神社です。

吉田神社の節分祭と言えば、約50万人が訪れる一大行事。
京都の節分祭の中でも、最大規模を誇ります。

(※吉田神社の節分祭は、こちらを参照して下さい。
吉田神社の節分祭。露店の様子や交通規制情報。

また、境内社もいくつか存在しています。
その中の1つが、山蔭神社です。

-終-

今回は、そんな吉田神社にある山蔭神社を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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吉田神社のさざれ石。

吉田神社を訪れた時、さざれ石を見つけました。
さざれ石は、国家にも登場するお目出たい石です。

写真は、「吉田神社のさざれ石」に掲載しています。

◆吉田神社について◆

吉田神社は、京都市左京区にある神社です。
貞観元年に、平安京の守護神として創建されました。

祭神として、4柱祀られています。

第一殿:健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
第二殿:伊波比主命(いはいぬしのみこと)
第三殿:天之子八根命(あめのこやねのみこと)
第四殿:比売神(ひめがみ)

ご利益は、厄除け・開運。
そして、学問や良縁なのです。

節分祭が有名な神社で、京都の節分の行事と言えば、この吉田神社を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

普段は、境内には人がそれ程いなくて、参詣がしやすい神社です。
しかし、節分祭の時は、約50万人の参拝者が訪れます。

この数からも、吉田神社の節分祭の規模が分かると思います。
1度は訪れて欲しい、京都の節分祭の1つです。

(※吉田神社の節分祭は、こちらを参照して下さい。
吉田神社の節分祭。露店の様子や交通規制情報。

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今回は、そんな吉田神社のさざれ石を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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西本願寺の埋め木。

西本願寺を訪れた時、埋め木の特集をやっていました。
西本願寺の埋め木は、瓢箪やハート、富士山などがあります。

その特集を、写真に撮りました。
写真は、「西本願寺の埋め木」に掲載しています。

◆西本願寺について◆

西本願寺の場所は、京都市下京区です。
浄土真宗本願寺派の本山となります。

正式名称は、「龍谷山 本願寺」。
西本願寺は、通称です。

真宗大谷派の本山である「東本願寺」と区別するために、西本願寺と呼ばれています。

もともと両寺の始まりは、1つの本願寺でした。
しかし、徳川家康によって、別の本願寺が建てられます。

それが、現在の東本願寺です。
なぜ徳川家康は、本願寺を二分したのでしょうか。

一説によると、力を持った本願寺を恐れた徳川家康が、その勢力を分断する事により、本願寺を二つに分けたと言われています。

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今回は、そんな西本願寺の埋め木を紹介します。
何かの参考になれば、幸いです。

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